キハ40系(JR東海車) 一部の車両は譲渡されずに廃車されました。 |
キハ40系(キハ85系と同じ350馬力エンジンに交換、新製当時は220馬力。最高速度95キロ)は新型車両への置き換え速度が比較的速いJR東海でも製造後約35年経過した2014年まで全車健在を誇っておりました。 2014年9月には置き換え対象のキハ25系1000番台が落成、更に武豊線電化に伴うキハ75系・キハ25系基本番台の余剰による玉突きでの廃車が2014年12月から始まり、平成28年中の完全引退が宣告されています。 しかし、捨てる神があれば拾う神がいるというものです。2015年3月にJR東海とミャンマー鉄道省が車両譲渡の提携を結び、2015年3月以降の車両は全てが笠寺・名古屋臨海鉄道経由で海外に向かっています。(譲渡の概要はこちらからどうぞ。) JR東海の中では長年活躍した車両と言えますが、これは単に地方線区の活躍で新車投入が遅れたことよりも、丈夫な車体やワンマンに対応できたこと、117系とは異なり性能不足の烙印を押されなかったことが長寿の要因と言えたのかもしれません。 |
キハ40形 城北線の代走として、海ミオ(美濃太田車両区)の車両が抜擢された当時のものです。 場所 枇杷島駅 日時2002年10月12日 13時05分 |
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キハ40系(国鉄色風) 写真はキハ48系2両で構成されておりますが、2015年1月現在ではこのカラーのキハ48型1両は伊勢運輸区に転属。このキハ48型の組み合わせは見られなくなってしまいました。 余談ですが、国鉄時代にこの塗装は実在していません。 場所 岐阜駅 日時 2011年6月15日 16:09 |
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キハ47型 JR東海では5両のみが活躍するキハ47型。もともとは武豊線で活躍し、2000年に太多・高山線へ転勤。同じ運命を辿るキハ75・25系により仕事を奪われ、全車両がミャンマーへ移ることになりました。 場所 根本→小泉間 日時 2014年12月26日 7:40 |
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キハ48型 日常は高山・太多・紀勢・参宮線が活躍場所のキハ40系ですが、鈴鹿サーキットでF1が実施される時は名古屋へ出張してF1快速として同じく取り換えられるキハ11型と共に活躍していました。(2014年度で終了) 場所 蟹江→永和間 日時 2014年10月4日 8:04 |
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キハ48形ワンマン仕様車の台車(寒地向け) こちらは空気バネタイプの台車です。 場所 那加駅 日時2002年10月20日 8時17分 |
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城北線で代走されたキハ40−6304の台車(暖地向け) 乗り心地は上のほうがベター? 場所 枇杷島駅 日時 2002年10月12日 14時44分 |
何かの幕の上に「勝川⇔枇杷島」と書かれていると思われる幕 この文字の下は一体・・・? 場所 枇杷島駅 日時 2002年10月12日 13時05分 |
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キハ48型室内 シートの色も国鉄時代から変わりませんでした。 |
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