バカ親日記
 
(主な登場人物)
お父さん(ボク) 47歳
長男ヒデフミ  18歳
次男アツフミ  15歳
2000.6.25スタート
断続的に更新中
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親バカっていいますよね。うちの子も二人ともとっても可愛いんですう。そんな話をしてたら某そろりんメンバーこ○けに「おまえのは親バカではなくてバカ親だ」と言われました。というわけで(どんなわけだ?)このページでは子供自慢・成長記録のオンパレードです。

2008年の日記へ  2009、2010年は下のほうに続いています

2011.6.21
 キャンプの続き。

 雨は止みそうで止まない。テントとタープは乾燥させてパッキングしたいのだけど、あきらめて濡れたままビニールシートで包んで車に積み込む。浜で竿を出しているアツフミにアクションあり。行ってみると15cm超のベラが釣れている。やったね。他にはフグ2尾だけだったので1尾でも食べられるのが釣れて何よりだ。それにしても釣れなくても黙々と竿を出し続けるアツフミの根気や集中力には感心する。ボクは釣れないとすぐ場所を変えたり止めちゃったりする性格だからね。10時半ごろ釣り終了。雨がちょうど止んだのでキャッチボールをする。息子とのキャッチボールは久しぶりだ。いつも野球では肩が痛くて投げられないけど、このときはなぜか痛くなかったのだった。11時にチェックアウト。東名阪道は午後渋滞すると予想して一気に名古屋まで走る。おかげで渋滞はナシ。途中はけっこうな振りの雨だったけど名古屋は降っていない。帰宅後はテントとタープを駐車場の屋根の下の自転車の上に広げて乾かし畳む。うん、やっぱキャンプは楽しい。ベラは煮付けにして食べたのだった。

2011.6.20
 梅雨のさなかではある。週間天気予報では土日は晴れそうだったので父と子のキャンプを予定した。バイトにデートに勉強にサークルに忙しいヒデフミは不参加で、アツフミとの二人行。で、当日、あれ?雨なの?でももう気持ちはキャンプに向かってるので決行だ。12時頃出発。伊勢湾岸道から東名阪、伊勢道へと車を走らせる。四日市東ICから鈴鹿ICまで渋滞しちゃってたけどガマン。途中買出しとかをすると到着は16時ごろ。紀伊長島の孫太郎オートキャンプ場は3回目?いや4回目か。雨なので空いている。海に面したAサイトにタープとテントを張る。それまでは雨と言っても霧雨だったのでよかったのだけど、このあと本格的な雨になってしまう。アツフミは砂浜で投げ釣り開始。しばらくがんばるが、仕掛けを切られて、雨も強くなってきたので撤収。だんだん暗くなってきて夕食の準備。炭をガスコンロで焼いてから七輪へ。こうすりゃすぐにBBQ開始できる。といってもアツフミと二人だけなのでそんなにたくさん焼くわけではない。ちょっと贅沢した和牛とモクモクファームのソーッセージ、シイタケ、ピーマン、焼きおにぎりってとこ。食べ終わったら焚き火開始。今回は500円で薪を購入。使い切ろうと思ったら3時間以上かかる。炎を見ながら男二人語り合う。アツフミはマシュマロを焼いて食べ、ボクは日本酒を飲む。この時間は雨が降っていても問題ないのだった。テントをたたく雨の音は一晩中続いていた(たぶん)。アツフミは4時半起床。タープの下でゲームをしていたそうだ。ボクは6時半起床。いつもと逆じゃんね。ラーメンと目玉焼きの朝食を済ませるとアツフミは釣り。ボクは例によって片づけだ。フグが2尾かかったようだが、何度も仕掛けを切られて苦戦するアツフミ。でもあせることなく哲学的に楽しんでいる。雨は上がらない。テントサイトでここまで書いて8時50分。ウグイスがにぎやかに鳴いている。さて。

2011.3.5
 久々に書こう。ヒデフミが運転免許を取って、初めてありがたいと思うときがやってきた。金曜の夜、晩酌してたらどうしても温泉に行きたくなって、ヒデフミにダメもとで言ってみたら快くOKしてくれる。で、ヒデフミの運転で楽の湯へ。けっこう呑んだ後だけどこれなら楽チン楽チン。ホントに温泉宿に泊まってる気分になれる。湯上りには生ビールも。そしてまたヒデフミの運転で帰って、すぐ和室に敷いておいた布団に入る。こりゃいい。ときどきヒデフミにお世話になろうと思ったのだった。

2010.12.28
 ここに書くのは初めてだと思うけど、アツフミの昼食の黄金メニューはマックのチキンフィレオとポテトのセットなのだ。これにドリンクはコーラというのが定番で、最近は「すっきり白ブドウ」になったかな。家の近くにマックがないので車で買いに行くのだけど、あまりしょっちゅうだと覚えられそうで嫌なのだ。そこでヒデフミに役に立ってもらおうと車の運転の練習コースをマック往復にする。何回か行くとあとは一人で頼むねとできそう。あ、いや、あくまでもヒデフミの運転の練習がメインだからね。

2010.12.9
 とうとうヒデフミが運転免許を取った。夏休みから車校に行ってたからずいぶんかかっちゃったな。彼の名誉のために書いておくと、試験に落ちたり、実技でハンコもらえなかったりしたわけではなくて、夏休みもバイトや合宿で行けない日が多かったし、講義が始まっちゃったらうまく時間割が合わなくてなかなか卒業できなかっただけらしい。平針運転免許試験場にはボクが朝車で送ってやる。このお返しはボクが外に飲みに行くときの足として使うってことで。で、土曜日の昼、ボクが職場に行くのとヒデフミが大学に行くのが一緒になったのでヒデフミに運転させる。20分ほど、ヒデフミ運転の助手席を体験した。ま、慣れたらマシになるでしょうってことで。

2010.9.15
 ヒデフミがサークルの夏合宿から帰ってくる。出かけるときも地下鉄の駅まで車で送って行ってやったのだけどすごい荷物の量なのでお迎えも行ってやらなきゃ。いつも夕方にはビールを飲み始めるのだけど、お迎えがすむまで我慢だ。でもなかなか今駅だよーとかの電話が入らないのでひたすら待つ。9時も回った。うにゃあ。そこへやっと友達の携帯を借りているというヒデフミからの電話。自分の携帯はバッテリー切れで使えないのだそうだ。ボクが送った「今どの辺?」とかのメールは読まれてなかったのね。でもまあ「オヤジ早く飲みたいだろうからお迎えいいよ、何とかするから」と気を使うとこはエライぞお。なんとしてもお迎えしてやらなきゃね。10時半ごろ、ようやくビールが飲めた。お土産話を聴きながらね。

2010.8.31
 ヒデフミがいつの間にか仮免に合格して路上に出ているらしい。路上でもエンストしたとか言ってる。まあ、免許取得は時間の問題だな。アッシー君として使えるのももうすぐってことで。最初はボクが助手席に乗ってたらうっとおしいだろうなあ。絶対いろいろ口出しちゃうに決まってるもん。でもこれなら高速も乗れるし、安心して任せられるってことになったら、ぜひ、家族旅行に行きたいのだ。昼間っから飲めるぞー。楽しみだぁ。

2010.8.30
 また等身大ガンダムを見に行ったのだ。去年、お台場までアツフミと行ってるが、今年の夏はぐーんと近づいてきて東静岡駅前での公開だ。まったく同じだったら行かないかもしれないけど、今回はビームサーベルを持ってるとか、ペインティングも違ってるとか聞くと見たくなるよね。さすがにボク一人で見に行くのは変だからアツフミを誘うのだ。もちろん、出不精のアツフミがじゃあ行こうかとなるのは自身行きたいからだよね。せっかくJRの駅前でやってるのだから、電車で行きたいところだけど、朝、まだ眠そうにしているアツフミを連れ出すには車で行くしかないのだ。平日だったから渋滞もなく、順調に東名高速を走り、静岡ICから一般道に下りて会場に到着。おっと、駐車するのはそれなりに一苦労。ガンダムが駅の北東側に立ってるのが見えたので回り道をしてそっち側に行ったのだけど、そっち側には駐車場が臨時のかなり離れたところのしかなくて、炎天下、結構な距離を歩く羽目になってしまったのだ。ま、それでもお台場よりは楽だったかな。入場したらちょうど1時のミストショーの時間の直前で、間近で音楽が鳴って顔が動いて霧が出るってのを見ることができた。ショーの後はタッチ&ウォーク。触って写真を撮る。近くで見てもディティールがしっかり作られちてるのは嬉しくなるね。あとは食べ物。シャア専用冷やしカレーうどんはネーミングはともかく、フツーに食べて美味しかったぞお。なぜにコーンが大量に入っているのだ。下調べをしたら3時間とかの長時間行列は必至とのオフシャルショップは平日だからか20分待ちだったので入ってみることに。ついついガイドブックとか買っちゃうんだよな。「静岡にガンダムを見に行ってきました」っていうお菓子もお土産に買ったし。ラーメンフェアで富山の黒醤油ラーメンも食べたりも。店の人はやる気なさそうだったけど美味しいことは美味しい。もっといろいろ食べたいとこだけど暑いし、そうも食べられませんぞ。帰りの高速ドライブも渋滞がなかったのはよかった。イキナリ当日思いつき見切り発車のガンダムツアーはこうしてなんとか満足できたのだった。来年はきっと名古屋に来ると予想する。そしたらまた見に行こうっと。

 あ、そうそう、写真を紹介するページも作っちゃいました。「静岡にガンダムを見に行ってきました」

2010.8.20
 名古屋市の科学館が新しくなるのに伴って9月から3月まで休館するそうだ。プラネタリウムも新しくなるので見納めしておこう。ところが日曜日だったからかすごい混雑。プラネタリウムは当日完売で入れないし、科学館のほうも入場券売り場には長蛇の列。あきらめて新プラネタリウムの外観だけでも見ておこう。おぉ、さすがに新しいのは世界最大になるだけあって今のよりずいぶん大きい。空中に浮いているようなデザインもすばらしい。この球形が重なっている写真も今しか撮れないからそれだけでも行ってよかったのだった。あ、バカ親日記なのに息子は一緒じゃなかったっけ。

 息子たちに昼何が食べたいかと聞いたら「そうめん」との答え。一緒にうどんを食べに行くよりもハンバーガーを買ってきて食べるのよりもいいらしい。なので昼間っから料理する。卵を薄焼きにして、チャーシューとキュウリを切って、カイワレも根を切って、ま、そんなに面倒ではないし、いただきもののそうめんが大量にあるのでこういうのもいいかも。6把完食。そういや、そうめん流しにもご無沙汰してるな。この夏もやる予定ないし。まだ玄関ではそうめん流し用の竹が出番を待っているのだけどね。

2010.8.10
 四国に帰省中、何年ぶりかで愛媛総合科学博物館に行く。息子たちが小さいころから何度か来ていて、恐竜や昆虫ですごく楽しめる施設だったけど、さすがに息子たちは成長したからそんなに楽しめないかなと思っていた。ところが予想以上に童心に返ったかのように楽しんでいる。ま、ボクら大人でも面白いから当たり前か。

 今回はプラネタリウムも入場。なんとココのドームは世界一の内径30mのサイズを誇るのだ。ちなみに来春には世界一の座は名古屋市科学館に譲ることになるのだが、名古屋に住んでて愛媛の現世界一を体験できるのは嬉しいものだ。もっとも、座った瞬間眠くなったボクは、プログラムをほとんど見ることなく熟睡していたのだった。

 特別展示の昆虫も見所いっぱい。なんといってもここのトピックスは写真の巨大ゴキブリだ。なんと手に乗せることができる。ま、フツーの人は気持ち悪がって触れないのだけど、ボクはこういうのは平気なのだ。それに感動的だったのは案内係の若い女性が全くゴキブリを気持ち悪がらないこと。逆に「カワイイんですよー」とボクの手に乗せてくれたりもする。写真を撮ろうとしたら「じゃせっかくだからオスメス一緒に」と2匹乗せてくれた。なかなかできない体験でよかったのだった。

2010.7.31
 アツフミの15歳の誕生日。朝はうっかりしてて一言もその話題に触れず出勤。帰りにケーキを買って帰ることにするがアピタの中の店にはもう残ってなくて、滝の水のケーキ屋はお休み。神沢のケーキ屋に1個だけ残っていたのをなんとかゲットする。苦労して買ったケーキだけど、夕食の量が多すぎて当日は食べることはなかったのだった。それにしても誕生日といってもアツフミは冷めたもの。夕方言うまで自分でも気づいていなかったらしい。プレゼントの話も特にしなかったけど、これはナシではすまんだろうなあ。

 いきもの日記で取り上げたカマキリの話をアツフミにしたら、昆虫好きの血が騒いだか、久しぶりに虫かごと虫網を持って外に出て行った。そして大小2匹のカマキリを捕まえてくる。次は餌になるバッタだ。庭にはショウリョウバッタが大量にいるぞ。蚊もたくさんいるので虫除けスプレーをかけてからね。最近アツフミは室内にこもってばかりだったので、庭で虫捕りしてるのを見て、なんて夏休みらしいのだと目を細めるボクなのだった。

 ヒデフミが左の脇腹に硬いしこりがあって、押すと痛いし、右側にはないので気になるという。じゃ、病院行って診てもらえば安心できるねとイキナリ病院に行くことにする。結果、その硬いモノはたぶん肋骨。医者がレントゲンを見ながら言うには、普通の人よりは一番下の骨が長いし巻いてないので触ると気になるのだろうとのこと。つまり何の問題もなくてまたまたお笑い通院になったのだった。またまたってのは以前も首にしこりがあるっていうので診てもらったらリンパ腺が腫れてただけだったってことがあったから。なんて有意義な土曜の午後。そういえばボクの左腕は悪化している。

2010.6.26
 サッカーW杯の一次リーグ最終戦、日本とデンマークの試合は日本時間午前3時半スタート。キツーという時間なのだが、ジツはボクにはそうでもない。たいてい5時前には起きてるので当日も目覚ましもかけず、自然に目覚める。リビングに下りていくとちょうどキックオフしたとこだとアツフミ。「君が代聴かなくて済んだね」とも言う。おぉ、よくわかっているじゃないか。ボクはあの歌は聴きたくないのでよくリモコンで消音したりしてるからね。ん、そうそう、なんでアツフミが起きてるんだってこと。いやはや早起きしたのか寝ずに迎えたのか定かではないが一応テーブルに勉強の用意をした状態で座っていたのだ。ま、サッカーは一人で見るより二人で見たほうが面白いからいいのだ。ご承知のように日本が快勝し、決勝トーナメント進出を決めたので早朝から盛り上がる。なんと、当日から期末テストだったのだが、あの場合勉強しろとか寝ろとかは言えなかったのだった。翌日の夜、11時キックオフのブラジルvsポルトガルはボクは途中で寝ちゃってて勝敗も記憶にない状態だけどアツフミは最後まで見たらしく、「レベルの高い試合だったぜ。笛吹きまくられだったけどね」と言っていたのだった。タフー。

2010.6.23
 アツフミが修学旅行から帰ってきた。自分のときを思い出す。中学のときのはジツはあまり記憶に残っていないのだ。写真があるからどこに行ったとかどういうメンバーでというのはだいたいわかるのだけど、エピソードというか思い出が出てこないのは情けないなあ。行き先は奈良・京都・大阪だけどそもそもどうやって行ったっけ。まだ瀬戸大橋ができていないから今治から尾道に渡るか東予港から大阪南港までフェリーに乗るかだと思うけどね。高校のときははじめフェリーの予定で、台風で欠航になって旅行自体延期になって、実際に行ったときは新幹線だった記憶がある。奈良は奈良公園とか東大寺に行ったのは間違いないけどどういう宿に泊まったかの記憶もない。京都でも同じ。大阪城はでけーと思ったのだけは覚えているけど。今にして思えば、もっとお寺やお城をしっかり見ておくべきだった。あんな行程の旅は修学旅行でしかないもんなあ。友達との旅行ってのも貴重な体験なのだし。でもボクのときと大きく変わっているのは、ただ全員で名所を見て回るだけではなくて、体験学習や分散学習というのが複数回あって、まさに「修学」旅行になっているのだ。でも、やはりそういうのは楽しくないとぼやいていたアツフミなのだった。そうそう、バカ親的なのは送迎をしたってこと。学校からバスで出発するんではなく、集合・解散が名古屋駅だから親が送迎しなきゃいけないんだと。たまたま、振替休日を取る予定があった日に出発で、名古屋駅近くに市内出張の予定があった日に帰着だったので、いずれも問題なしだったのはラッキー。名古屋駅タカシマヤあたりでアツフミを見つけるのは大変だったぞお。

 今回のW杯サッカーは日本が出ない試合もよくTV観戦している。でもサッカーって生中継見ててもなかなかゴールシーンは見れないのだ。たいていその瞬間はよそ見していたりする。ところがポルトガルVS北朝鮮の試合は違っていた。7点も入ったから見やすかったのは確かだけど、どのゴールシーンも生でちゃんと見ていたもんなあ。しかも、それがボクだけでなくて息子たちも同感だってのが面白い。でも生で見れるのは嬉しいのだけど、やっぱリプレイも必要で、スローもないと何がなんだかわからないプレイも多いのだった。

2010.5.8
 大学受験が一段落するまでヒデフミは四国への帰省をパスしてたので、GWに強行日程で連れて行くことにした。アツフミとの二人旅はずいぶんやったけどヒデフミとの二人旅は初めてかな。語ることはたくさんあったのだった。

 ヒデフミがコンタクトレンズをすることになった。弱視発覚で始まった彼の視力回復の戦いも大詰めを迎えたわけだ。現在は左目は乱視、右目は近視という状態らしい。大学生になった記念に青いお洒落なフレームのメガネに変えていたのだけど、スポーツとかいろいろコンタクトにしたい理由があったらしい。土曜日、近所の眼科に行く。ジツは以前ヒデフミ一人で行ったら親が同伴じゃないと診察できないといわれたそうで、付き合わなきゃならないのだ。出番はほとんどないんだけどね。診察の結果を聞くときだけ呼ばれただけ。結果、乱視のほうはコンタクトは無理だけど視力が0.9あるので、近視のほうだけに入れてみようということになったのだ。なるほど、そういうのもアリね。レンズ代が半分で済むのもオイシイ話なのだった。

2010.4.25
 ヒデフミが餅を焼いて食べようとしていた。ボクは醤油を一滴付けとくと綺麗に焼けるよとアドバイス。さらに、アイデア商品で買った「レンジ焼き餅網」の使用を勧める。これ使うとくっつかないよってね。ところがこれが大失敗。これレンジ用なのにヒデフミが餅を焼こうとしていたのはオーブントースターだったのだ。ヒデフミが「餅が焼ける前に網が溶けちゃったよ」と言ってきたので見ると無残にもオーブントースターの中で1000円近くした網は原形を留めていなかったのだった。そりゃ溶けるわな。でもヒデフミが悪いんじゃないよ。餅網持ってきて置いたのボクだから。にゃー。そして被害はそれだけではなかった。プラスティックのとけたニオイは窓を開けて換気扇を回せばいいし、餅はあきらめて捨てればよかったのだけど、溶けた網がオーブントースターの金網と一体化したまま固まっちゃっててこれはもう取るのは不可能。なのでせっかく緑色で気に入っていたオーブントースターだったのだけど、廃棄して新しいのを買う羽目になってしまったのだった。ぎゃふん。

2010.4.4
 4月2日はヒデフミの大学入学式だ。「行かないの?」と職場の人に聞かれたのだが、ま、大学の入学式にはついていかなくてもいいだろう。自分のときも四国から単身やってきて、右も左も知りあいは一人も居ない中でのスタートだったっけ。高校の卒業式に出るような親は大学も当然と思われてるのかな。その代わり、なれないスーツを着たヒデフミのネクタイを締めなおしてやって、着こなしをチェックして、家を出るのを見送ってやる。朝はばたばたしてたし雨が降っていたので写真を撮ってやれなかったのが残念。カメラを貸してやって、友達と撮りあうんだぞと言ったのだけど、実際には友達と会えなかったり慌しかったりして、ほとんど撮らずに帰ってきた。なので暗くなった玄関先でとりあえずスーツを着た証拠だけでも残すのだ。例のハンサムスーツね。次に着るのはいつかしらん。








2010.3.26
 ヒデフミが大学生になってしまう前に「父と子の」キャンプを決行する。ヒデフミは受験のため自粛していたのでキャンプは久しぶり。アツフミもこの1年は付き合ってくれてなかったからこれまた久しぶりなのだ。行き先は紀伊長島の孫太郎オートキャンプ場。先回、ゴンズイ事件のあったところを2回目の利用となる。紀勢自動車道が少しづつ延伸開通していて近くなってきてる方面だ。到着は4時過ぎと遅め。息子たちはさっそく浜へ釣りに。ボクは例によって一人で設営だ。得意な一人設営だけど今回は強風で苦労したぞ。テントは広げたら凧揚げのタコのように風をはらんで飛んでいこうとする。押さえつけつつ4角にしっかりペグを打って固定。タープは風の息継ぎの合間のわずかなチャンスに一気に立てる。テーブルなど、一通り設営が完了したら日が沈みかけてきてなんとかセーフだった。浜に息子たちの様子を見に行くと今回はボーズのようだ。先回はアツフミ一人だったけどけっこうかかったんだけどね。春先はまだ海の水が冷たく魚はまだじっとしているんだろう。暗くなったらまず焚き火。家から持ってきた端材と購入した薪を燃やす。12月のキャンプほどは寒くないけどけっこう冷えるぞ。卓上七輪でバーベキューをしながら焚き火で夜は更けていったのだった。そうそう、お決まりのマシュマロ焼きもやったね。

 朝、寒くて寝ていられないのでまだ暗いけど起きる。車の中でここまでの原稿を書いたりした。日が昇ってきたらそれなりに温かくなったけどね。息子たちは朝食後、また釣りへ。長時間頑張ったけど釣果はヒデフミのフグ一尾のみ。アツフミは悔しかったはずだけど、これはビギナーズラックだと納得していたようだったね。チェックアウトは12時とのんびり出来るキャンプ場なのはよかった。ヒデフミとはキャッチボールやバドミントンやサッカーもやれてよかったのだった。写真は釣りをするヒデフミ。向こうのほうに小さく見える赤い服はアツフミで、流木をうまく使って竿を置く台を作っていたのは感心したぞ。

 ずーっとお出かけを自粛していたヒデフミなのでキャンプも楽しみにしていてくれたと思うけど、リトルワールドにも行きたいなあと言っていたのだ。お目当てはドイツの村のパンに溶かしたチーズをかけて食べるやつ。土曜日いい天気だったのでいきなり息子たちを連れて行くことにする。連休初日だから混んでるかなとも思ったのだけど、昼ごろ着いたら第2駐車場は使っていないくらいの人出で寂しさを感じる。ま、帰りには第2駐車場にもけけっこう車あったし、サーカスの客の入りもよかったからいいか。園内バスで一気にドイツまで行ってドイツ・フランス・イタリアで食事をするのはいつものパターン。残念だったのはヒデフミが食べたかったパンにチーズのやつがなかったこと。そのかわり、量だけはソーセージ盛り合わせやピザなど、もういらんというくらい食べたのだった。ネパールでは室内壁画をヒデフミとじっくり見る。ここには書きにくいけど(書いちゃうけど)男女交接状態の神様の絵に感心したヒデフミなのだった。恒例のサーカスは今回ロシアからのイリュージョンサーカス。目の前の箱の中で人が入れ替わったり通り抜けたり消えたり現れたり。うーん不思議。

 右側の卵の写真はこのページのソースのフォルダに入ってるのに気付いたのだけど、使ってなかったみたいなのだ。片方の黄身がダブルになっているから面白いと思ったのかなあ。アツフミの弁当には必ず卵焼きを入れるってんでその関係かもしれない。そういや最近は飽きたとかで卵サラダのほうが主流になっているのだった。

2010.3.18
 ヒデフミが入学式で着るスーツを買いに行く。ハンサムスーツだかなんだか知らないけど、値札を見てビックリ。普段ボクが着てるのの何倍もの金額のスーツになってしまう。ま、それがフレッシュマンなら半額になるというのだから、どんな値札のつけ方や。始めは何軒か回って、気に入ったところでスーツだけ買って、カッターシャツやネクタイは安いところで買おうと思っていたのだ。も、試着をするとおぉなかなか似合うじゃんとなって、だんだんそれでいいような気がしてきて、ネクタイも店員さんがこれなんか合うと思いますケドと持ってきたのがさすがおしゃれーて思ってしまったし、あとめんどくさくなって、結局1軒目でカッターシャツやネクタイ、ベルト、そして靴まで揃えてしまったのだった。靴も半額だったからま、いいか。さすがに肌着と靴下はアピタに行って買ったけどね。アピタにもスーツはもちろん売っていて、値札を見ると確かに安い。ま、合格祝いコミってことで。スーツを試着して鏡を見て嬉しそうにしている息子を見るのは悪くなかったしね。当日までにネクタイの締め方を教えてやらニャあ。後日談、ウチが行った紳士服屋は高いしお土産の小物ももらえないので他のチェーン店と比べると最悪らしいとヒデフミに言われる。ま、その分、きっとモノがいいのだと思うようにしよう。笑えるのが、ヒデフミがそのことを言いにくそうにしていて、ボクの気を悪くしないように気を使ったのだろうケド、前置きに言ったのが「ホントは墓場まで持って行こうと思ってたんだけど」というフレーズ。んなオオゲサな。

2010.3.7
 ヒデフミが第1志望の大学に合格した。よく頑張ったと褒める。さっそく入学金と前期学費を振りこんだ。手続きのミスで行けなくなったら大変だからね。ところがヒデフミはなぜかその前夜第2志望の大学に自分が通ってる夢を見たというのだ。正夢にならなくてよかったあ。ってなんて信用のない親なんだろうってハナシ。

 ヒデフミの高校の卒業式に妻と二人で出席する。家から歩いていける距離。30分くらい掛けてゆっくり歩くといい運動なのだけど、出るのが遅くなって早足で行ったのでしんどいしんどい。途中すれ違ったタクシーに乗ればよかったと後悔する。着いたらちょうど「君が代」が終わるところだった。これは逆にちょうどよかった。歌いたくないし起立もしたくないから。校歌が始まったところで会場に着席する。けっこう父親の出席者もいて時代を感じる。さすがに保育園や小学校の卒園・卒業ほどの感慨はないので誰も泣かないし式は淡々と終了する。退場のときにヒデフミをやっと見ることが出来た。なんと一番ラストを歩いている。ま、H組の「わ」だからね。見つけやすくてよかった。さて、これまでの卒業式だと、親は待ってれば出てきた子供と一緒に写真を撮ったりできたのだけど、高校はどうなのだろう。わからないまま、けっこうたくさんの父母が残ってたのでボクらも待つことにする。それが1時間半!在校生が色紙や花束を持って集まってきたので今か今かという感じだったし、途中からはせっかくここまで待ったのだからという意識も働いたし。さすがに12時を過ぎて、父母もほとんど居なくなってからヒデフミに送っておいた携帯メールの返信が来る。「友達とメシ食うから帰ってていいよ」っての。そりゃそうだ。いい勉強になったわと、ボクらはすごすご帰ったのだった。

 ヒデフミの大学合格祝いに焼肉屋に行く。歩いていける距離だけど早く行かないと席が埋まっちゃうので車でダッシュ。でももちろんボクはビールを飲むのでボクだけ車を置きに帰宅してからまた店まで走っていく。たまにしか行かない焼肉屋だけど、やっぱ家で食べるより美味しいなあ。ヒデフミが妙に焼肉屋慣れしているのが面白い。3年間の高校生活でけっこう場数を踏んでいるのだな。早く運転免許を取ってくれたらこういうときボクがあとから走っていかなくて済むのだ。ヒデフミもビールを飲みたいとなったらヒデフミに走ってもらえばいいのだし。

2010.2.27
 ヒデフミの受験が一段落した。まだ結果が出てないのもあるし、残念だったのもあるけど、いくつかは見事合格したので4月からは大学生だ。自宅から通うことになるので生活はそんなに変わらないだろうけど、とりあえずは部屋を片付けなよと言ってある。さっそく大量の紙を資源に出すみたい。なにはともあれ彼の頑張りに拍手。

 久しぶりにアランプーサンに息子二人を招待した。「連れて行った」ではなく「招待した」というのは、自分が出演するライブで、チャージ飲食代もボクが払うからなのだ。でもまあボクの歌をそれなりに聞いてもらってたからよしとしよう。

2010.2.11
 ヒデフミが昼食を買うのに付き合ってコンビニへ。ついでにボクもコンビニ弁当にしようかなと選び始めるが、迷ってるうちにヒデフミは決めてしまったのだ。いつも「なんでそんなに迷うかな」ってボクが思ってるほうなのだけど、このときは逆だったね。ヒデフミが成長したのか、ジツはボクがトロいのか。

2010.1.25
 イチゴは息子たちが喜んで食べる。以前は手でへたをむしって出していたのだけど、小さいナイフでへたを切ると見栄えがよくなるし楽なのでいまさらながらそうしているのだ。大きいイチゴの場合、半分に切って出す。食べやすいようにね。すると必ず練乳を付けて食べるアツフミが「練乳が付けやすい」と高く評価してくれる。やはり一手間かけるのは大事なのだと思ったのだった。

2010.1.17
 アツフミが理科の宿題で電気製品のワット数を調べていたのだ。ところがコタツはどこに表示てあるかからなくて苦戦していた。布団をめくって覗き込んでいたアツフミが、「そういやヒーターの中に分度器が入ってるよ」という。はじめ何を言っているのかピンとこなかったのだが、要は角度を測る文具である分度器を誰かがヒーターの網の隙間から中に入れたままになっているってことなのだ。けっこう何年も前から入っていたままらしくて「なんでもっとはよ言わん」と怒ることになる。ラジオペンチを使ってつまみ出した分度器は熱で柔らかくなっていて、一部真っ黒に焦げていて、下手すると火事になっていたのだ。なんたることヤ。

 ヒデフミが受験生だってことはチラっと書いたけど、センター試験の前々日にボクはライブをしたりしているのだ。ま、夜、親がいても食事を作ることくらいしかできないのだけど、いや、それは大事だな。あえて、いつもと同じにするってことで変にプレッシャーを与えないようにしているのだ、なんて言い訳も。あとは、早く寝ろと口うるさくいうことくらいかな。そうそう、今日はセンター2日目だったので、ヒデフミの朝食と送り出しのために野球の朝練はお休みしたのだった。センターと言えば、新聞に問題と解答が載ってるので少しやってみた。英語は最初の20問。正解は11問。おぉ、思ったよりできてるぞ。長文は読む気にならないのでそこでやめて続いて地理Bを10個やってみる。おぉ、8問正解。地理は好きだなー。

2010.1.11
 ヒデフミが大学受験なのだ。あえて、ここには書かないつもりなのだけど、バカ親ってことで、お守りは複数買ってやってるってことは書いておこう。

2010.1.6
 ボクは食べないのだけど息子達はマックが好きだ。なのでお休みの日の昼食は場合によってはみんなで外食ではなく、ボクだけうどんを食べて、帰りにマックにドライブスルーすることもある。この年末年始は何回かこのパターンがあったな。息子二人とも注文するものが決まっているので楽だ。ヒデフミはダブルチーズバーガーのセットで白ブドウジュース。アツフミはジューシーチキン赤とうがらしセットでコーラ、それに単品のポテトのMを付ける。つまりアツフミはポテトのMを二つ食べるってこと。好きだねー。ヒデフミが図書館に行くとかで居ないときはアツフミの分だけで、そのときは870円と覚えてしまった。先回、二人分のとき、たまたまポテトのMを聞き間違えられたのか、帰宅して開けてみたらSサイズが入っていた。レシートを見るとSになっているのでお金を損したわけではないのだけど、アツフミがすばやくMを二つキープしたのでヒデフミはSを食べることになってしまったのがかわいそうだったのだった。二人分だから金額では気付かなかったので仕方ないよね。さて、仕事始めの前日、肉体再生日記に書いてるようにボクは讃岐製麺で、そのあとマックに向かう。単品ポテトのオーダーのときに、間違えられないようにゆっくりと「エ、ム」と言うと、「まんなかのサイズですね?」と確認された。「そ、そうです、それです」と答えながら「まんなか」ってうまい言い方だなあと感心する。で、レジのときに「最初っからまんなかって言えばいいんですか?」と聞いたら、「人によります」と答えられてしまった。ムムム。

 今年も初詣は田県神社だ。最近は毎年ここだな。おみくじを引いたらボクと息子二人は揃って「大吉」だった。これ、けっこう画期的かも。ヒデフミは絵馬も書いたぞ。いい結果となりますように。

2009.12.31
 大晦日と元旦は単身帰省するので息子たちとは一緒に新年を迎えることはできないのだ。ただし、順調に親離れが進む息子たちは全く気にしていないようなのだった。

2009.12.26
 ウチのバルコニーは2階の3部屋(夫婦・アツフミ・ヒデフミそれぞれの部屋)の前につながってるので洗濯干しや布団干しには大変便利だ。ヒデフミの部屋の前が広くなってて庇も奥行きが深いので洗濯物はそこで干すことになるのだけど、ヒデフミの部屋を通らずに他の2部屋から出入りできるのだ。寒い冬の朝、洗濯物を干そうとしたらヒデフミの部屋のエアコンが動き始めた。着替えるのに寒いのでつけたんだな。と、室外機から猛烈に冷たい風がボクの足元に吹き付けてくる。うぉおこれは寒いぞ。ヒデフミに聞こえてるかどうかはわからないけど、「お父さん殺し〜」と呻いたのだった。

 朝、息子達を起こすのは毎日のボクの役目だ。目覚まし時計はあるのだけど、それでは目は覚めないらしい。でも、電子音はダメだけど、機械的なベル音なら起きれるかもというので、同じものを二つ、息子達に買ってきた。さっそく、翌朝、けたたましいベルの音が鳴る。ボクはもう起きてる時間なのでいいのだけど、まだ寝ていたいほかの部屋の人も起きちゃうくらいの音だ。聞いてたらしばらくして鳴り止んだ。ああ、起きて止めたんだなと思う。でも足音は聞こえないぞ。15分位して覗いたらグースカ寝てる。また寝ちゃったらイミないじゃんね。ま、これはお約束のオチでしたな。

2009.12.20
  朝食にラーメンってのはボクはほぼ毎日そうなのだけど、もちろん家族みんながそうなのではない。息子は日によってご飯系だったりパンだったり果物だったりする。でも土日はラーメンのことも多いかな。なので自分の分だけではなくラーメンを何食も作るってのは決して珍しいことではないのだけど、今週末は特別だったかな。土曜は、まずボクが起きて味噌味の生ラーメンを作って食べる。続いてヒデフミが起きてきてラーメンを希望したので同じものを作ってやる。そこへ現れた妻がヒデフミのラーメンを「美味しそう」と言って、少し分けてもらおうとしてたので妻の分も作ることに。ただし、同じ生ラーメンはなくなっちゃったので、乾麺だけど生麺風の味が楽しめる横浜六角亭ってのを作る。それを食べ始めたところにアツフミ登場。人がラーメンを食べてると自分も食べたくなるんだよね。アツフミには出前一丁。これでまず土曜ラーメン4食っと。で、日曜日、これまたボクがまず喜多方ラーメン(生)を作って食べる。この日も続いてヒデフミが起きてきたのでまたまた同じ喜多方ラーメンだ。次に現れたのはアツフミ。喜多方ラーメンは3食入りなのでアツフミも同じ、ただし、具はナシで。最後は妻だけどやっぱりラーメンがいいというので醤油とんこつの生ラーメン。アツフミがそれを見て「こっちのほうが旨そうだ」って言ってたので月曜の朝もラーメンになるかも。とにかく、ひたすらラーメンを作った土日の朝なのだった。

2009.12.6
 
息子に作ってやった焼きうどんに何と結び目が出来ているのが発見された。どうやったの?と聞かれても、狙って出来るわけないじゃんね。

2009.11.26
 ヒデフミが大学の推薦入試を受験するので、当日、車で試験会場まで送っていく。いろいろと受験アドバイスなどしながらね。途中、昼食を買うためにコンビニに寄る。カツ入りの弁当を作ってやってもいいのだけど、そういういかにも合格弁当ってのは友達の間では気恥ずかしいようなのでコンビニでパンやオニギリを買うほうがいいらしい。そういえばボクの受験のときはホテルに前泊したから、昼はそれはもうイカにもタコにもな合格弁当だったなあ。あんま味とか覚えてないけど。午後の試験のこと考えてたら弁当どころじゃないよなあ。それより、夕食メニューがビフテキやビーフシチューだったのはよく覚えてる。味はやっぱりよくわからなかったのだけどね。

2009.10.24
 本来、このページはバカ親だから、ボクのバカなところを書かなきゃいけなかったんだけど、息子ネタが多くあったのは確かで、息子たちには申し訳ないことをしたのだ。といってもそんなに過激なことは書いてないしホントにまずいことは書いてないけどね。

 そんなわけで間がけっこう開いてしまったバカ親日記だけど久しぶりに書いておこう。最近、ボクはうどんにハマってるのでお昼は弁当を持っていかず、外食ばかりなのだけど、息子達は相変わらずボクが作る弁当を毎日食べている。夏休みの間は朝楽だったなー。もっとも、朝の弁当作りが再開したっていっても好きでやってるので、実はそう苦にはしてないのだ。ま、作らずに済むとなれば、それはそれで楽でうれしいものなのだった。弁当の写真を何回か撮ったので中身を解説していこう。

 えーと、黒い2段式のがヒデフミので緑のがアツフミのだ。写真は3日分だけだけど、ほぼ毎日同じようなクオリティーなんだよ。

 左から、カツとミートボールはできあいで、タマゴサラダと豚肉の炒め物は手作り、ポテトサラダもできあいだ。ごはんには梅干しとゆかり。たまたまこの3日分は全部ゆかりがかかってるけど、とくにゆかりが好きだというわけではなくて、海苔玉だったり別のフリカケだったりするのだ。焼きジャケを載せると豪華になるぞ。

 真中のは、左から塩サバ、鶏照り焼き、焼きそばと手作りで、マカロニサラダはできあいでグラタンは冷凍っと。

 右のは、手作りの卵焼き、できあいのアジフライと海老フライ、塩サバとなすピーは手作りでポテトサラダはできあいっと。

 アツフミのは実は最近はワンパターン化していておにぎりと卵焼きとプチトマトだ。おにぎりだけは中にツナマヨを入れたり、おにぎり用のフリカケを混ぜたり、チャーハンで握ったりと日替わりにしているけどね。

2009.9.2
 夏休み恒例の家族旅行。今年は石垣島だ。朝、6:20に家を出る。この時間だと渋滞もなくて中部国際空港まではすいすいだ。アツフミはまだ宿題が残ってるようだけど、旅行中は忘れててもいいぞ。ヒデフミは受験生だけど4日くらいは勉強から離れてても大丈夫。でも何か持ってきてるみたいだけど。飛行機ではボクとアツフミが並びだが、二人とも窓際がいいのでボクは。ガマンするのだ。ま、離陸後ほどなくアツフミは寝てしまったのでボクは身を乗り出して下を眺める。あ、でもボクも眠いぞ。

 とここまで機内で書いたトコ。

 那覇空港で石垣島行きに乗り換えだ。時間があったので沖縄そばを食べておくことにする。でも、中途半端な時間なので1食まるまるは多いかなと思ってヒデフミに手伝わす。ボクがつい癖で七味とコーレーグースを大量に掛けてしまった沖縄そばを、ヒデフミは口内炎2個を抱えながら頑張って食べてくれたのだった。エライ!この便ではアツフミは初めから眠いのでボクに窓際を譲ってくれる。おかげさまで窓からはケラマ諸島がよく見えた。ボクははしゃいでしまって窓から見えるものをいちいち報告していたらうるさがられてしまったのだった。

 と、また機内でここまで書いたと。

 石垣島旅行の続き、といっても旅行中は肉体再生日記を書いてたら、こっちまで書く時間がなくて、もう帰りの機内なのだ。思い出し出し書かなきゃね。今回、ヒデフミ用の旅行カバンのデビューだったのだ。これまでは親のカバンに間借りしたり、ソフトなバッグを使ったりしてたから、自分用のを持つのは嬉しいらしい。ところがこの旅行カバンはボクのより少し大きいのだけど、それがワザワイしてレンタカーのマーチのトランクに収まらないのだ。なので空港からホテルまでは座席にカバンを一つ入れなきゃならなくて、狭い思いをしたのだった。でもこの問題は帰りの際には解消した。3日目の川平湾での昼食後、マーチのエンジンがかからなくなるトラブル発生。レンタカー屋さんがデミオでやってきて交換してくれたのだけど、このちょっと型の古いデミオはマーチよりラゲッジスペースが広くて、全部納めることが出来たのだった。

 初日はホテルに着いてすぐホテルのプールで遊ぶ。写真の角度から見るとプールと海とが続いているように見える。悪くないプールだったけど、結局このプールにはこのときしか入ってないや。

 2日目は波照間島へ。今回はツアーの類は一切申し込まず、全て成り行き任せで行動したので、あせることなくマイペースですごせたと思う。ま、ボク一人だともっとチャチャッと動いて、ホントは西表島にも行くつもりだったのだけど断念したのだ。波照間島も12時発の高速船で行き、16時半ので帰ってきたから現地では正味2時間半くらいしか遊べなかったね。でも日差しは強烈だからそれで十分とも。ボクは高速船に乗ってても、あれは何島だとか、あ、トビウオが跳ねたとか、キョロキョロしてたのだけど、息子達はクールで、どっちが子供だかわかんないね。

 3日目は石垣島内をドライブ。これも運転するボクは、やれどこに行こうとか、あれはナントカだとかはしゃいでるのだけど、息子たちは楽しんではいるけど、どこに行きたい!とかはなくて、お任せムードなのがちょっと寂しいかな。御観崎の眺望は気に入ったようだ。ボクが調子に乗って岩場を進んで突き出ている岩に登ったときは、親子が逆のように息子達が心配して見てる。ところが実は心配じゃなくて、オヤジ駄目じゃんって視線だった。というのは、ボクは脇道に入るところに立入禁止の看板があるのは見つけたのだけど、それはボクが登った岩場のところにあった看板が外れてたもので、アツフミは釘の跡とかがそこにあった2本の杭と看板とで一致するのを確認して、ボクを叱ったのだった。川平湾のグラスボートはサンゴや熱帯魚を見れたのでみんな満足。息子達はホントはシュノーケリングの方が良かったのかとも思ったけど、グラスボートのほうが楽だとか言うのはちょっと寂しいかな。

 あ、ミニノートパソコンのバッテリーが切れそう。ここでいったん中断だ。もうすぐ中部国際空港。

 あと少し、帰宅後書くね。

 もう一つの岬・平久保崎では、同じように立ち入り禁止の看板がある小山があったのだけど、ここには息子たちも登る。ま、こっちは危ない岩場とかでは全然なかったし、みんな登ってたし。サンセットビーチでは時間が短かったので、休憩なし、浮き輪なしで泳ぎ続ける。以前は「さあ上がるぞ」と声かけても、まだまだ遊びたいので泳ぐのを止めなかったものだが、ここらは成長してくれていてありがたい。

 最終日は八重山鍾乳洞・動植物園観光。すぐ近くに石垣島鍾乳洞ってのがあって、どっちに入るか迷ったのだけど、こっちにして正解。鍾乳洞は息子たちはそう面白くはないみたいだけど、動物に餌をやれるのが楽しかったのだ。以前からいろんなテーマパークで動物の餌やりを楽しんできた我が家だけど、最近はそういうお出かけがなかったから息子たちは久しぶりだったし。このエサやり写真は「いきもの日記」でしばらく連載しようっと。旅行中、食事はいつもとかなり違うのだけど、みんな食欲はあったよなあ。朝食のバイキングは好きなものを好きなだけとれるので、取ってきたお皿を見ると個性が出ていて面白い。昼食はすべて八重山そばだったけど、誰も不満を言わず付き合ってくれたのがボクとしては嬉しい。夕食はほとんどビールや泡盛のつまみのようなメニューになっちゃったけど、これにも不満は出ず、いつもよりしっかり食べていてくれてよかったのだ。

 と、いうわけで石垣島編おしまい。

2009.8.22
 アツフミの注文に応えて、朝食にラーメンを作ってやった。ただ、ラーメンというなら、アツフミのそれは主にインスタントラーメンの「出前一丁」で、ときに「サッポロ一番塩ラーメン」になったりする程度のブレしかないのだけど、わざわざ今回書くのは、それが「生ラーメン」だからなのだ。ボクの朝食は基本的にラーメンで、それもここのところのこだわりは、生麺の「喜多方ラーメン」だから冷蔵庫には麺とスープが3人前でセットになったのが常備されているのでそれを使うのだ。もちろん生麺のラーメンは外食すれば食べられるのだからアツフミもその味は知ってるのだけど、家で食べるってのがミソなんだろうな。外食では叶わない具無しのラーメンってのも実現できるし。ま、ボクは具無しではつまらないと思って鶏唐揚げと茹海老を少し入れさせてもらったけどね。結果、アツフミは「お、これは美味しい」という反応で食べてくれたので、ボクも嬉しかったのだった。実は2日連続その注文を聞いていたりするし。

 ヒデフミの注文に応えて、朝食にオムレツを作ってやった。ただ、オムレツというならこれまでも時々作ってるし、オムライスっていう得意料理もあるのだけれど、わざわざ今回書くのは、それが「ホテルの朝食風」だからなのだ。何でそれを食べたくなったのかはわからないのだけど、ホテルのレストランバイキングの一角で、シェフが客の注文を聞きながら作るオムレツを再現せよ、という注文なのだ。具は、とろけるチーズは絶対に入れて欲しいが、あとはボクにお任せでとのことなので、ハム、タマネギ、ピーマン、シメジを選び刻む。フライパンを温め、バターを溶かし、具を塩コショウで炒めたら、卵3個を割り溶いたのを投入。ゆっくりかき混ぜながら固まりかけたところでチーズを投入、カタチを整えたら出来上がり。ケチャップをかけて出したらヒデフミは「オヤジやるじゃん」と言って食べてくれたので、ボクも嬉しかったのだった。実は前夜に同じ注文を受けていて、チーズを入れ忘れて作ったりしてるし。

 以前の日記を読み返してみると、よくもまあこんなにお出かけしてたもんだと感心してしまうのだけど、最近は家族全員でお出かけすることも少ないのだ。先週、最近には珍しく家族全員で長良川の花火を見に行ってきた。8月1日に開催される予定のが雨で順延されたので見に行けるようになったのだ。そういやあんときは土砂降りのフォークジャンボリーだったな。花火見物ではビールを飲むに決まっているから、車でのお出かけが多い我が家にしては珍しくバスと電車だ。名古屋駅までは名鉄電車で。ちょっと覗いてみたい催事があったからタカシマヤに寄るのだ。ホントは鳴海から乗り換えナシで行けるのだけどね。レストランでランチをしたが、いつも外食は緑区なのでなんとなくアウェー感あり。名古屋駅から岐阜まではJRで。最近読んだ「図説日本の鉄道・東海道ライン全線・全駅・全配線」ってのが面白くて、ヒデフミに稲沢駅までの配線の見所の解説をすると一応は聞いてくれる。小学校にあがるくらいまでは電車が好きだったはずなのだけど、今では全く興味ナシなので、聞いてくれるのはイイ奴だからなのだ。岐阜駅から金華山下の花火会場までは臨時バスで。岐阜城や昆虫博物館などは連れて行ったことがあるのだけど、息子達はあまり覚えていないみたい。さて、我が家にしては行動が早かったので、花火開始までずいぶん時間がある。なのでイイ場所を確保できるのだ。でもまだ3時間以上待ちだし、すごく暑いので、妻は日陰へ、息子達は水際へ。ボクは炎天下、留守番しながらビールを飲む。だんだんと埋まっていく会場を眺めながらこういう時間も悪くないな。だんだん日が傾いて風も涼しく感じるようになって、何回かの予告編に続いていよいよ始まった花火本編。ここの花火の素晴らしさはボクが書くまでもないので省略して、書くとしたら帰りの道程。すごくたくさんの人が一方向に歩くので歩きにくいので、岐阜公園の中を歩いたり、一本裏の道を歩いたりする。けっこう時間短縮できたかも。乗り場までは遠かったけど、帰りも臨時バスに乗れてよかったあ。さらに、名鉄岐阜駅では、うまく次の特急のミューチケット(座席指定券)が買えたので、神宮前まで座って帰れたのも楽だった。ま、大変だったけど家族揃ってのお出かけできたってことで。

2009.8.12
 ガンダムが30周年でTVではいろいろ特集している。これまでも何度か書いたけど、高校時代にボクがはまったガンダムを息子達と語り合えるってのがすばらしいのだ。特にアツフミはアニメも見てるしゲームをやってるのでよく知ってるし、会話も盛り上がるのだ。で、平日に休みの日、二人で行ってきたのだ。東京・お台場、等身大のファーストガンダムを見に。いや、それはよくできてるけど「巨大な人形」だということはわかっている。でも、身長18mの、その大きさを実感したことがあるのとないのとでは人生経験の大きな差になるように思えたから、とにかく見に行くしかないと思ったのだった。

 朝、7時前に出発。ホントはもう少し早く出たかったのだけど、ボクはラーメン、アツフミは味噌煮込みうどんを食べたし、帰りの時間を決めていない自由旅だからいいのだ。豊明Cから伊勢湾岸道に乗り、豊田JCから東名高速に入る。幸い、通勤時間帯の渋滞とかには遭わずに走ることが出来た。浜名湖SAにも寄ったけど、アツフミが寝てるのでボクのトイレ休憩だけ。富士川SAではアツフミを起こし、展望スペースで富士山を観、富士宮焼きそばを買う。すいすい走れた東名も終わり、首都高速に入ると渋滞が待っていた。アツフミは熟睡してるので話し相手もいない。周りの景色を見てればいいやと思っても見えるものも限られてるし、やっぱ渋滞は苦手だ。でも急がば回れがうまくいって思ったより早く抜けられた。レインボーブリッジを渡るときにちらりとガンダムが見える。フジTVの辺りではイベントをやってるようで大勢の人がいたが、ボクらはガンダムだけが目的なのでスルー。駐車場の入り口で結構待たされたりしてようやく会場には入れたのは12時ちょうどくらい。そこにRX78ガンダムは立っていた。

 うーん、とにかくかっこいい。どの角度から見てもかっこよく見えるようにポーズも考えられているのだ。頭部が動いて、排気口からミストが出るのをイキナリ観れたのはラッキー。1時間に1回だから終わったばかりだとずーっと待ってなきゃいけないもんね。目とか内部が光るのも悪くはないな。少し並んで順番待ちをしてから足の下をくぐったりもした。すぐ近くで見ても安っぽくない作りはたいしたものだと思う。長蛇の列が出来ていた会場オリジナルグッズはパス。食べ物の屋台は充実していたので横濱海軍(だったっけ)カレーとか、牛タンソーセージとか、吉田うどんとか、ハム串焼きを食べた。雨が降りそうだったので、2回目の頭部稼動を見てから会場を後にする。いやあ、行ってよかったなあ。アツフミももちろん喜んでいたのだった。

 どこか東京で寄りたいところはあるかとアツフミに聞いたら、「秋葉原」と即答された。銀座から日本橋とアウェー感バリバリのドライブをして秋葉原へ。下車はしなかったので雰囲気だけだけど、痛いデザインのトラックを2台も見たアツフミは大喜び。わざわざ寄ってよかったね。

 帰路は中央道を走る。往復の高速代は1万2千円以上になってしまったけど、土日じゃないからしょうがない。いや、本来はそれだけのコストをかけなきゃあって思う。眠気は諏訪SAの温泉につかって吹き飛ばし、その後はノンストップ。うん、できるじゃん東京日帰りドライブ。

2009.7.27
 息子達は夏休みに入っている。高校3年生の方は、朝から高校の補習に出かけ、夕方には塾に行きと、忙しそうだし大変だなと思うけど、受験生なのだから頑張ってもらいたいのだ。塾の夏期講習の料金引き落とし通知を見てるので、より一層、結果を出せとの思いも強くなるのだった。中学2年生の方は、とりあえずのびのびと好きなことをやってるようで、あまりにも無節操だと締めてかからないといけないと思っている。ずーっと放置されているνガンダムのプラモを、この際、完成させて欲しいのだけどね。お弁当を作らなくてもいいし、自分が出勤する前に送り出す必要もないので、朝はとても楽なのがボクにとっての夏休みのメリットなのだった。

2009.7.12
 今年はまだ一回もキャンプに行っていない。理由の一つは一緒に行く人が誰も居ないからなのだ。というより、去年までは積極的に付き合ってくれていたアツフミが、完全に親離れモードに入っているからなのだ。ま、それはいつかは必ず来ることで覚悟しとかなきゃいけなかったのだね。なので、いっぺん単独キャンプをして、自分の新しいキャンプのスタイルやペースを見つけなきゃならないのだ。でも、良く考えたら、いつもタープやテントはボク一人で設営してるし、焚き火と酒で更ける夜は一人でもOKだし、大好きな朝のキャンプ場の雰囲気は一人だからこそ味わえるのだ。温泉単独ドライブでもさびしくはなかったし、問題は何もないよね。そうそう、これからのキャンプは温泉が重要ファクターになるのは間違いない。これまでもキャンプ帰りには温泉に寄ってたけど、よりアグレッシブに温泉を攻めることになりそうなのだった。って、息子がいないキャンプのことを書くなら次からは肉体再生日記ネタだなこりゃ。

 ヒデフミが英和辞典を買いたいと言ってきた。これまでは電子辞書で済んでいたのだそうだが、やはり紙の辞書があったほうがいいらしいのだ。そこでボクが中学時代から愛用している研究社の新英和中辞典を譲ることにする。ボクはあまり使うことはないし、中学校の時の先生が「これ以外のは辞書とはいえない」というくらいお勧めだったから。ところがヒデフミはやっぱ新しいのを買いたいという。その理由はボクの辞書はなんか変な臭いがするからなのだそうだ。何だとう〜とボクが嗅いでみるが別に何も臭わんぞ。「オヤジは鼻が悪いから」と言われ、確かにそうなので反論しない。結局、辞書を買うお金は母親から貰ったらしいのだが、嬉しそうに「辞書買ったよ」と報告するので、何が嬉しいのか聞いたら古本屋で100円だったとのこと。そのセコさには感心してしまったのだった。

 アツフミがドラクエ\を発売当日にゲットした。予約してなかったので買えないかもと言っていたのだけど、近所の店であっさりと買える。TVのニュースでは朝4時から並んだとか言ってるのでラッキーだったのだね。ま、その日の塾にもちゃんと行ったのでよしとするか。

2009.7.5
 朝、めざましTVでやってる星占いで、息子二人とボクの3星座が10・11・12位ってことが良くあるのだ。なぜかそんな時は妻の星座が1位だったりする。その逆、1〜3位独占ってのにはまだお目にかかったことはないのだった。

2009.6.16
 父の日って6月の第3日曜だよね。6月14日生まれのボクの誕生日が父の日に重なることなんかありえないよね。なのに誕生日当日、なぜか父の日でもあると勘違いしてたのだ。間違いに気づいたのは翌日通勤時にラジオを聴いていて。そもそも、日曜の朝、寝ぼけてる妻に「今日は何の日だ?」と聞いたらちょっと間をおいてから得意げに「わかってるよ父の日でしょ」と答えたのがいけないのだ。もちろん正解はボクの誕生日なのだけど、ボクも間抜けなことに誕生日と即答してもらえなかったのは残念だけど、そうか父の日でもあったんだよなあ、と思い込んでしまったのだった。それをどんでん広場でのライブのときにしゃべってしまう。でもダレも父の日は来週じゃないのとかツッコンデくれなかったし。帰宅して息子にも今日はお父さんの誕生日だし父の日だしと言ってしまうが、これまた息子も違っていると気付かない。とどめは、そうだ父の日くらい電話してやろうと、実家に電話した妻に対して、実家も違ってるよとは言わなかったことなのだった。

2009.6.12
 ヒデフミの弁当箱が新しくなって、前とはカタチが変わった。細長いのでおかずを詰めるのも縦横を意識せずにすむので少し楽なのだ。たいてい5種類を並べて詰めている。我ながらけっこう見栄えよく出来ているのでヒデフミに確認したら、友達からは羨ましがられているらしいので嬉しかったのだった。最近、冷凍食品のカップグラタンをリクエストされて連続して入れている。これはアツフミも食べてくれる。こういうの一品あると楽だね〜。あと最近の定番は玉子サラダ。ゆで卵の作り置きは欠かせないのだった。

2009.6.7
 アツフミが朝、出かけ間際の忙しいときに双眼鏡はないかと聞いてきた。何に使うのかと思いながらもコンパクトな双眼鏡と単眼鏡を出してやる。簡単そうな単眼鏡を持って行ったアツフミ。「大成功だった」と言うので何かと思ったら、その日はスポーツテストの日で、ジャージ通学なのだけど、雨が振りそうなのでどっちの準備をすればいいかを通学中の中学生を見て判断しようという事だったのだ。結果、裸眼では見えない遠方をジャージ姿で歩いている中学生がいたとのことで、単眼鏡は役に立ったのだった。

2009.5.24
 アツフミは2年生になってからはボクが作るお弁当を持参している。以前はお弁当を残すことが多かったけど、ここんとこはちゃんと食べてくれてるので作り甲斐がある。ある朝、出勤しようとしたら、アツフミの弁当包みがキッチンに残っていた。忘れていったのだと思い、中学校に届ける。校門が閉まる直前だったので、そこに居た先生にお願いしておいた。その夜、アツフミに弁当ちゃんと届いたかと聞いたら、感謝されるのではなく「オヤジなんてことをしてくれたんだ」と逆に文句を言われる。その日は弁当の要らない日だったのだそうだ。昼の終わりの会(?)のときに先生から渡されて恥ずかしかったのだと。こりゃコミュニケーション不足だったね。確かにボクは弁当包みをリビングのテーブルの上に置いてて、アツフミは登校直前にそういや弁当要らないやと気付き、ボクに言えばいいのだけど、 キッチンに置いとけばわかるだろうと思って何も言わずに出たのだそうだ。それを聞いていたヒデフミが「そういや俺も持ってきてもらったことがあったよなあ」と言う。そう、そんときゃヒデフミがホントに忘れてたんだよね。

 高校生にも遠足があったのだ。ヒデフミは嬉しそうに「おやつは300円までなんだけど、俺は700円分買ったぜ」とか言っている。たくさんツッコミタイノダケド、ま、幸せそうだからいいか。弁当を気合入れて作ってやろうと思ってたら、昼はBBQをするので弁当は要らないとのこと。久々にタコさんウインナーや真ん丸オニギリの弁当にして遊ぼうと思ったのに、さびしー。 そうそう、ヒデフミの弁当箱は高校に入って2年大活躍をして壊れてしまったので新しくした。こんどのはけっこうたくさん入る。ある朝、もう詰め終わったところにヒデフミが来て、玉子焼をつまみ食いする。隙間ができたが、他のおかずを少しづつずらして、追加する事無く済ます。動かすと片寄って隙間が出来るかもと言うとヒデフミは気にしないと言ってくれたので助かる。いや、そもそもつまみ食いすんなよって。

2009.5.2
 もうすぐ子どもの日だ。何をやるわけではないけどね。柏餅を食べるくらいか。ココ何年も鯉のぼりを出していない。あ、いやそれどころか何ヶ月か前に納戸の片づけをして捨てちゃってるのだ。息子たちも成長したからね。GWだって家族のお出かけ予定はないのだ。毎週のように出かけていた頃が懐かしいなあ。ま、それぞれにやることはいっぱいあるからいいのだ。

 朝、TVのチャンネルは「めざましテレビ」だ。星占いのコーナーがあって、必ず見るわけではないのだけど、たまたま見てて今日の最悪がヒデフミのおひつじ座だったりすると、「ヒデフミ今日最悪だよ」と親切に教えてやるのだ。ラッキーメニューとかも。ヒデフミの反応は「オヤジうるさいよ」なんだけど。

2009.3.29
 ヒデフミが17歳になった。誕生日当日はボクのライブがあって、翌日は野球のナイター試合と飲み会だったので、まだ家族でお祝いはしてないのだけど。それにしてもバカ親日記もそろそろ潮時かな。ネタがないわけではないのだけどなんでも書いていいわけではないしね。そうそう、1月に骨折してたのはさすがに治ってるらしいのだった。

 『腕相撲』は3月27日になってやっと息子たちに聴かせることが出来た。いつかは父を超えろと願っている想いは本当なのだ。通じてるのかどうかはわからんが。

2009.2.15
 新曲の『腕相撲』には息子たちが登場する。腕相撲ではボクにてんで敵わなくって弱すぎるという歌詞なので息子たちは聴きたくないらしい。幸い、アコナイトで発表の際は出番が深夜になって息子たちはもう帰ってたので聴いてないのだ。

 日曜の昼に外食したあと息子たちとバッティングセンターに寄る。ボクも久しぶりだけど息子たちとも久しぶり。なぜかボクは98km/hを遅く感じてホームラン性の当たりは1本だけという衰えぶり。ヒデフミは90km/hをやはり「遅せー」と言いつつ、いい当たりはナシ。アツフミは帰宅部もたまには運動しなきゃなと言いながら、最初の何球かはブランクのせいで空振りし、最後まで調子は出ないようだったね。ホントはキャッチボールしたいのだけどそれには乗ってきてくれないのだった。

2009.2.1
 ヒデフミが、自分の持ってる服屋のポイントカードが、あと3000円買い物すると満タンになって、2500円OFF券になるというのに気付いたのだけど、さらに気付いたのが使用期限が翌日だってこと。どうしよう、Gパンは買いたいけど他には欲しいものはないし、せっかく貯まったポイントがもったいない、と大騒ぎ。何も買わないのが一番だよと言っても気が済まないらしい。さて、どう出るか。結局、最終日にどうせ安くなるならといつもより高いGパンと下着類をたくさん買い込んだらしい。まんまと店の作戦にはまったのだね。まだお年玉残ってるよなあ。

2009.1.21
 アツフミがガンダムに詳しくなっている。そもそも、ボクはファーストガンダム世代で、高校生のときにリアルタイムでアニメを見て、プラモを作ったり、絵を模写したり、小説を読んで読書感想文を書いたりしてるのだけど、それから30年も経って、息子とガンダムで通じ合えるのがスゴイことだと思うのだ。ボクは「逆襲のシャア」以降のガンダムにはついていけないのだけど、アツフミはネットで調べたり、ゲームをやったりしてるので、どんどん知識を蓄積している。これまではボクのほうが優位だったファーストガンダムにしても、有名な台詞やシーンをまとめて見れるサイトがあるらしくて、錆び付いてるボクより詳しくなってしまってるのだった。一つだけ注文しておくと、ヒデフミが作りかけで放置し、アツフミが引き継いだはずの、1/100スケールのνガンダムのプラモを早く完成させろってこと。あんまり放置してるとボクが作っちゃうぞ、と。

 ボクには書斎があるので読書やパソコンなど、自分の城になっているのだけど、妻は自分の城がないってことをずっと不満に思っているのだ。さらにボクがギター弾いたり歌ったりし始めると寝室に居られなくなるのですこぶる機嫌が悪くなる。やっぱもう一部屋作っとけば良かったとまで言うので、もしヒデフミが大学生になって下宿したら一部屋空くよと答える。じゃあ、部屋が空いたらギターはそっちでやってと言われ、それは仕方ないなとかのやりとりをしていたのだった。それを聞いていたヒデフミ、あと1年ちょっとで一人暮らしを始める覚悟はできていなかったらしく、料理・洗濯・掃除と、今しなくてもいい心配を抱え込んでしまったのだった。冗談だってば。

2009.1.18
 残業してたらヒデフミから電話が入った。体育の時間にサッカーをしてて転んだときに手をついてしまい、もしかしたら骨にヒビが入ったかもしれないというのだ。とりあえず、近隣の整形外科を調べてから帰宅し、ヒデフミを連れて行く。小学生のときに骨折したときよりは痛くないので、ただの捻挫かもねって言ってたら、レントゲンの結果、手首のところの豆状骨ってのが折れて、欠片のようなのが写ってるってことで、骨折と診断されてしまったのだった。利き手の右手だから不便だ。早速、病院と薬局で書いた書類はボクが代筆する。ヒデフミはボクの字を見て、それなら俺のほうがマシとかほざく。シップをして、サポーターをはめる。ギブスはとりあえずなしでいけるとのこと。腫れて熱を持ったり、寝てるとき寝返りを打って手首をひねっちゃったりで、夜は寝られなくて苦労したみたいだ。着替えも大変みたいだし。ボクも弁当はおにぎりにしてくれと注文されたりで、けっこう面倒なのだけどね。写真は食べやすいように工夫したヒデフミの弁当。マカロニサラダはマカロニに箸を突っ込めば食べやすいのだけどそれは思いつかず、残してきてたけど。骨折翌朝、自転車通学に不安を覚えたヒデフミを高校まで車で送って行ってやる。いくら近いとはいってもボクの通勤経路からは外れているので、遅刻しそうだったぞ。二日目は自転車で行ったけどそれもまた心配なのだった。そうそう、左手のお箸になれたらしく、おにぎりは2日だけで済んだのだった。

 我が家のメインルームはリビング・ダイニングでキッチンとの間はカウンターになっている。リビングにはTVと書棚とローテーブルとソファー、ダイニングにはテーブルと椅子がある。普通、このシチュエーションだと食事はダイニングテーブルでとるはずだけど、ウチではソファーに座ってローテーブルで食べるのだ。TVを観ながらってのが大きな理由かもしれないけど、すっかりそれが習慣になっていて、ダイニングテーブルではボクが朝食を食べるほかは、誰も座りさえしないくらいなのだった。そのせいで、新聞・雑誌・チラシ・DM・おかし・おもちゃなどなどで、テーブルの上は猫の足の踏み場もないくらいになっていた。ま、猫のミントはそれでも平気で登ってるのだけど。一念発起して(大げさだけど)テーブルの上をすっかり片付けた。テーブルクロスも洗濯して、別の柄のに変える。すると、夕食をソコで食べようという気になったのだ。ランチョンマットを敷いて、料理を並べ、4人が椅子に座る。いつもとポジションが違うので違和感があるが、もちろんローテーブルよりは食べやすい。問題は食べ終わった人から居なくなるので、晩酌を続けているボクは寂しくなっていくってこと。あと、食事中はTVは見なくてもいいのだけど、チビチビ飲む段になると見たくなるよね。反対側の壁に壁掛けTVを設置しようかなという危険な希望が膨らんできたりもしたのだった。さて、ずーっとテーブルの上は綺麗なままにキープして、たまにはそこで食べるってことでいいかな。

2009.1.12
 日曜の朝、キムチ鍋雑炊の朝食を食べていたら、ヒデフミが起きてきた。そこで笑わせてもらったのが「おはよー」ではなく「ただいまー」とヒデフミが言ったこと。すかさず、「なんじゃ、夜遊びして今、朝帰りか」と突っ込んだのだった。でもふつー言い間違えないよなあ。

 3連休の中日の夜のライブ、お客さんとして家族を動員する。一人1000円のチャージは大きいが、聴いてもらえればいいのだ。しかし、感心なことにゲームを持ってこなかったアツフミは食事が済んだら手持ち無沙汰になり、ヒデフミはやりかけの勉強が気になっているようだったので息子たちは帰宅させる。出番が最後のボクまでは持たないだろうと思って。妻は最後まで付き合ってくれたのはありがたかったのだった。

2009.1.9
 7日。長かったようなあっという間だったような冬休みも終わりで、また息子達を朝送り出す生活に戻ったのだ。長い休みといっても、泊りがけのお出かけは四国への帰省だけだし、ヒデフミは5日間も予備校の冬期講習に通ったので休んだ気はしてないだろうね。アツフミは和室を自分の部屋のようにしてしまい、コタツにパソコンを置き、TVは好きな番組を見たりゲームをしたりと極楽気分を味わったようだ。「冬の生活」もそこでやっていたが、全部終わったのかどうかは不明。これまでは夏・冬休みの終わりの日は親も大騒ぎしてたけど、その辺は自立してきたということなのかもしれない。ま、全部ちゃんと出来てたら成長なのだけど。

 初詣は姉の家の近くの神社と妻の実家の近くの田県神社に行った。毎年同じところかも。おみくじを引いたらボクもアツフミも「末吉」。なんとなく面白くないので田県神社で引き直したらアツフミは「吉」でボクは「中吉」。ムムム、そもそも「大吉」が」一番いいのはわかるけど、そのほかはどういう順番なのだろう。調べてみなきゃね。

2009.1.6
 大晦日、ヒデフミが携帯の着信を待っていた。友達が「初詣行こうぜ」と誘ってくれるのを待っていたらしい。そこへメール着信あり。ヒデフミは「来たきたー」と大はしゃぎでチェック。ところがそれはアツフミがいたずらで送ったメールだったのだ。ヒデフミのあまりの落胆振りに笑ってしまったのだった。

 大晦日から元旦の朝にかけて、息子達はほとんど寝ずに過ごしたようなのだ。ヒデフミは部屋の片づけをしていたのか、朝見たらけっこう綺麗になっていた。アツフミは終夜放送のお笑い番組を見ながら平行してゲームやネットをしていたらしい。元旦は四国への帰省ドライブなのでずっと寝てりゃいいやという考えなのだった。