肉体再生日記

2000.6.21スタート

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このコーナーは、
不本意ながらベスト体重(ジツはそんなもの体験したことがないかも)から
大幅にウェイトオーバーとなってしまっているわが身を何とかせねばという気持ちから、
恥をさらすことにはなりますが、
できれば読んでいただいた方々から
叱咤激励をいただいて、
がんばってダイエットしようというもので、
2000年の開始から2016年までアップダウンはあったにせよ、
失敗状態で続いてました。

それまでの失敗例は自作曲「ぼくのオリジナルダイエット」を参照。

2018.12.25
 肉体再生は右半身マヒがなくなれば達成ってことになるなら無理かもしれない。マヒを認めて、身体が動く範囲でできることをやろう、で、いいのかもしれない。それでも少しはできることが増えるかもしれない。焦って歩きすぎたり、走ったりすると身体が悲鳴を上げることは経験してる。三好池1周4.5kmを久しぶりに走ったら歩くのも大きな違和感を指先に感じるようになっちゃって、これは右足の親指が折れてるに違いないし、痛みを感じないだけにマズいよなあってとこまで行った。幸い、ちょうど1週間で骨はくっついたらしく違和感はなくなったので良かったのだが。

 10月の職場の健康診断の結果、血圧も血中脂質も肝機能も正常値になってた。脳出血発症から2年。さあ、長生きするか。

2018.8.9
 歩き病だ。

 

どういう病かというと、とにかく歩かずにはいられなくて、典型的には平日の夕方、帰宅するのに地下鉄もバスも乗らず、八事から滝ノ水までずーっと歩くことになったこと。

するとグラフのようになる。

瞬間最小体重は53.0kgを記録している。 

2018.7.19
 久しぶりに書こう。

 「肉体再生」は、体重を落とすってことなら大成功している。脳出血を起こす前は75sを超え、瞬間最大体重は77kgまでいってたと記憶する。それが今では55kgになっている。昨日、八事から滝ノ水まで歩いて帰宅し、喉カラカラ状態で計った体重は、54.0kgという瞬間最小体重を記録した。

 でも、右半身マヒの改善は遅々として進まず、歩きはギクシャク、走りはままならず、ときどき転び怪我をする。痛みは相変わらず感じないが。

 20kg太っていた頃は、スポーツクラブで走ったり、ロードバイクに乗ったり、すごく健康的ではあったよなあ。

 だからだ、この日記を書いてないのは。

 でも、歩きについては書いておこう。

 実際すごくたくさん歩いている。ま、歩くことしかできないからだけど。i-phoneのヘルスケアが勝手にデータを取ってくれてるのでそれによると、2015年は一日平均は5,000歩に届かず、2016年も5,000歩を少し超えた程度だった。2016年の10月の終わりに脳出血で倒れ、入院。11月は0歩だわな。でも、リハビリを始めて、入院してた1月には10,000歩を超えていた。退院後、自宅リハビリ休職中は15,000歩を超える。8月に復職してからは10,000歩から15,000歩の間だった。それが再び15,000歩を超えるようになったのは仕事帰りに地下鉄に乗らず、職場から自宅まで全部歩くようにしたからだ。そういう日には25,000歩を超えるから平均だと18,000歩になっているのだった。

 ふう、あとは残しておくとすれば、「うたネタ日記」には書いてるけど4月に自転車部のサイクリング企画に参加してマウンテンバイクで35km走ったことくらいかな。マウンテンバイクは買い替えてるし、もっと乗らなきゃなと思ってる。

2018.2.18
 復職してからは、通勤での地下鉄相生山駅まで往復の歩きと、昼休みの歩きで、1日の10kmから12kmは歩いている。歩きのギクシャク感は治らないけど、ちょっとずつ良くなってると信じたい。最近は逆にコケることが多くなってるのだが。右手をついて怪我してても痛くないので気付かないのは相変わらずだ。あ、こないだ竹林でコケて膝に怪我したのはちょっとひどめだな。

 前進と言えば、駅伝に出場した。トムさんが声をかけてくれて、奥さんのフミちゃんとうひょさんとの4人チームだった。一人5kmとちょっと。ハーフ駅伝だから。愛・地球博公園はロケーションがイイ。こんな身体になる前は何度か駅伝参加した。その頃は同じ距離でも24分くらいで走れたけど今回は40分かかった。ま、コケたり歩いたりせず、完走できてタスキをつなげたのは自分を褒めよう。チームメイトには感謝しよう。

 復職前は歩きで20km超えは時々やってたが、久々に25.9km歩いた。自宅から植田川沿い経由で名東区のうりんこ劇場まで。あと、平和公園1万歩コースも。疲れを感じないのは不思議ね。

2018.1.17
 年末年始はそこそこ飲んだし、食べもしたけど、体重は変わってないかな。でも、12連休だったからちょっと足は弱ったかも。

 平日は朝歩き、通勤歩き、昼歩き、帰宅歩きで10km以上にはなるけど、休みの日はなかなか距離を稼げないのだ。土日に続けて出勤ってのもきついね。

 病院の屋上ガーデンをぐるぐる走るしかなかったころからすると、ありがたい状況なのだけど。

 バッティングセンターでは久し振りにホームランが出た。伸びる打球はダメだけど、バットには当てられるのだから、これもありがたいのだろうなあ。

 先月やったボーリングは1ゲーム目は54、2ゲーム目は70のスコアで自分で思ってた以上に難しかった。

 年末にやった卓球も右手には厳しかった。
 
 肉体再生は体型の問題ではないのだった。

2017.12.11
 うーん、facebookにはたくさん投稿したり、ブログ「うたネタ日記」は頑張ってるけど、ココは復活しても放置されてるじゃん。

 体重は土曜の楽の湯で58.6kgだったので夏から変わっていない。

 脳出血から1年たったとき、1年後に生きていられてるってのには思うところあったけど書かんとな。

 そうそう、その1年前の2日前にココ用に書いた原稿が残ってたのだ。上げる前に入院しちゃったから日の目を見ずに居たんだね。載せるべし。

 2016年10月23日(日曜日)
 これまでのバッティングセンターのゲーム数の最高は1日で25ゲーム、625球だった。しばらくやらないでいると、5ゲームくらいでマメが出来たり、握力がなくなったりするのだけど、ここんとこ調子は悪くないので、最多更新にチャレンジしてみた。前日の土曜日も15ゲームやってるんだよね。日曜日の昼過ぎ、なぜかとても空いている。ボクは120km、70km、110km、90kmと、その都度スピードを変えて打ち続ける。空いてるから休みなしだ。以前は空振りしてた遅い球も上手く打てるようになってきた。ホームラン惜しいって打球も数多し。そして、さすがにマメが出来て 皮が剥ける。体力的にはまだまだやれそうだったけど、30ゲーム、750球でバットを置く。うーん。記録達成。充実感。

 次男は、これが脳の血管が切れた原因だって言ってたな。

2017.9.26
 足はここんとこあまり変わってないな。体重も変わってない。いや、実は書くのを忘れていた(^^;)

2017.8.15
 長い間書いてなかったのは事実で、これから、このコンテンツをどうしたいかのイメージも固まっていないけど、とにかく少しずつ書いて行こう。ちなみに昨日自宅で測って出た58.1kgというのが最低体重だ。

 写真を使うのは大事だよね。

右半身麻痺とはちょっと違うとこだけど、実はウチにはこの乗馬マシンがある。

なぜか全然使ってなかったんだけど、体幹を鍛えるために復活させた。

いや、拭いただけで問題なく使えるのだ。リビングにあるし。猫の爪とぎ跡が痛々しいが。

あと、自転車もなんとかせにゃ。太ももが細くなってしまってるもんね。

2017.7.30
 体重はピーク時には76kgくらいあったが、入院時に10kg以上落としてた。1600kcal/日の食事以外には食べなかったからね。運動は歩きだけだったから、やっぱり食事が大事なのだろう。でも、3カ月半の入院後も体重は少しづ減っている。全体に食事量が減ってるからだ。例えば昼食で外食に行っても1人前を食べていない。うどんなら1杯はいけるけど、以前は4杯も5杯もよく食べてたなあ。胃が小さくなったんだ。体重計が60kgを切る数値を表示するようになった。問題は筋肉が落ちてることだ。

2017.7.19
 肉体再生日記は2000年から書いてたんだね。ま、とにかく目標としては体重を減らすことだったわけだ。実は体重は目標達成しちゃってたりする。

 2016.10.26に脳出血を起こした。幸い出血部位と出血量が最悪の事態ではなく、開頭手術をせずに死なずに済んだ。そして右半身マヒという後遺症が残ることになった。

 入院中からリハビリは始まった。柱は3本。

 足は、車椅子から始まって、補助具を装着して歩くようになり、補助具を必要としなくなってからは少しずつ動きは滑らかになった。ただし、感覚神経はほんの少ししか戻っていない。スリッパが脱げてしまうのが典型的な現象だ。

 手は、始めは存在が認識できないくらいだったが、少しずつ動きを取り戻してきた。お箸を持てるようになるのはかなり遠いところ。足より神経が格段に複雑ということを思い知らされている。

 言語は、思い出せない言葉があったが、取り戻した。話すのも問題ない。入院中にリハビリを終了している。

 今がどういう状態か、ということと、ここまでのいろんなステップや経験は残しておきたいが、時間が必要だな。

 それは忘れないでおこう。

 そして、このコンテンツ「肉体再生日記」のポイントは、ダイエットネタではなく、マヒ克服のリハビリネタに移行する。